和泉式部

(イズミシキブ)
和泉 式部(いずみ しきぶ、天元元年(978年)頃 - 没年不詳)は平安時代中期の歌人である。越前守・大江雅致の娘。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。 越前守・大江雅致と越中守・平保衡の娘の間に生まれる。はじめ御許丸(おもとまる)と呼ばれ太皇太后宮・昌子内親王付の女童だったらしい(母が昌子内親王付きの女房であった)が、それを否定する論もある。 長保元年(999年)頃までに和泉守・橘道貞の妻となり、夫と共に和泉国に入る。後の女房名「和泉式部」は夫の任国と父の官名を合わせたものである。道貞との婚姻は後に破綻したが、彼との間に儲けた娘・小式部内侍は母譲りの歌才を示した。帰京後は道貞と別居状態であったらしく、冷泉天皇の第三皇子・為尊親王との熱愛が世に喧伝されるが、身分違いの恋であるとして親から勘当を受けた。紫式部は和泉式部を評して「和泉式部という人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ」と『紫式部日記』に記されている。 為尊親王の死後、今度はその同母弟・敦道親王の求愛を受けた。親王は式部を邸に迎えようとし、正妃(藤原済時の娘)が家出する原因を作った。 (Wikipediaから自動的に取得しているため、本人と異なる情報が表示される場合があります。)

和泉式部の著書・訳書

 amazon.co.jpから人気商品順に表示しています。

和泉式部集/和泉式部続集 (岩波文庫 黄 17-2)



岩波書店
「和泉はけしからぬ方こそあれ」と紫式部に指弾されるほど奔放な生活を送った和泉式部は,早くも少女の日にその生涯を予感するかのように「暗きより暗き道にぞ入りぬべき……」と歌った.平安文化の爛熟をまたその崩

和泉式部日記 和泉式部集 新潮日本古典集成 第42回



新潮社
【書籍本体はほぼ新品です】函に若干のスレありますが、それ以外はきれいです。帯も付いており全体に非常に良好です。平成12年2月第7刷。

和泉式部日記 (講談社文庫 古 7-1)


川瀬 一馬 翻訳 /
講談社

和泉式部集・和泉式部続集 (1983年) (岩波文庫)



岩波書店
平安文化の爛熟と崩壊を身を以て詠じた天性の詩人、その歌集から、正・続集を併せ一冊として、新訂を施し懇切な注を付した一冊です。

和泉式部の著書を検索する

和泉式部の関連ニュース


和泉式部のウェブ検索結果


作品一覧は自動的に取得しているため、和泉式部と関連のない作品が表示される場合もありますのでご了承ください。
「和泉式部」の改訂履歴 (出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』)
Text is available under GNU Free Documentation License.