新田 次郎

(ニッタ・ジロウ)
新田 次郎(にった じろう、本名:藤原 寛人(ふじわら ひろと)、1912年6月6日 - 1980年2月15日)は、日本の小説家、気象学者。神田電機学校(現:東京電機大学)卒業。 来歴・人物 長野県諏訪郡上諏訪町(現:諏訪市)角間新田(かくましんでん)に彦、りゑの次男として生まれる。寛人のおじに気象学者藤原咲平がいる。ペンネームは“新田の次男坊”から(「しんでん」を「にった」と読み替え)。 旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)・無線電信講習所本科(現在の電気通信大学の母体)・神田電機学校(現在の東京電機大学の母体)卒業。妻ていは作家。次男正彦は数学者・エッセイスト。長女の咲子も、家族を書いた小説を発表している。 登山好きの皇太子徳仁親王が愛読する作家として知られる。 1932年 - 中央気象台(現:気象庁)に入庁。富士山観測所に配属 1935年 - 電機学校卒業 1939年 - 兩角(もろすみ)ていと結婚 1940年 - 中央気象台布佐気象送信所に転勤。 (Wikipediaから自動的に取得しているため、本人と異なる情報が表示される場合があります。)
主な受賞歴
第34回 直木賞 / 第8回 吉川英治文学賞

新田 次郎の著書・訳書

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孤高の人(上)



新潮社 2013-05-10
昭和初期、ヒマラヤ征服の夢を秘め、限られた裕福な人々だけのものであった登山界に、社会人登山家としての道を開拓しながら日本アルプスの山々を、ひとり疾風のように踏破していった“単独行の加藤文太郎”。その強

孤高の人(下)



新潮社 2013-05-10
いかなる場合でも脱出路を計算に入れた周到な計画のもとに単独行動する文太郎が初めてパーティを組んだのは昭和11年の厳冬であった。家庭をもって山行きをやめようとしていた彼は友人の願いを入れるが、無謀な計画

八甲田山死の彷徨



新潮社 2013-05-10
日露戦争前夜、厳寒の八甲田山中で過酷な人体実験が強いられた。神田大尉が率いる青森5聯隊は雪中で進退を協議しているとき、大隊長が突然“前進”の命令を下し、指揮系統の混乱から、ついには199名の死者を出す

八甲田山死の彷徨



新潮社

孤高の人 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)



集英社 2013-03-19
孤独な青年・森文太郎は転校初日、同じクラスの宮本にけしかけられ校舎をよじ登ることに。一歩間違えば死んだかもしれない、だが成し遂げた瞬間の充実感は、今までになかった「生きている」ことを確かに実感するもの

孤高の人 2 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)



集英社 2013-03-19
「世間ってのは優等生なんか望んじゃいねえ、モンスターが見てえのさ――」 森文太郎は教師・大西の導きでクライミング大会に出場。独りで登るソロクライミングを望みながら、登る技術を求めて周囲と距離を縮め始め

劒岳〈点の記〉 (文春文庫)



文藝春秋 2012-09-20
日露戦争直後、人跡未踏といわれ、登ってはいけない神の山と恐れられた北アルプス、劒岳(つるぎだけ)。正確な地図をつくるため、この山頂に「三角点を埋設せよ」との至上命令を受けた測量官、柴崎芳太郎。たいへん

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