折口 信夫

(オリグチ・シノブ)
折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。 歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。 1887年2月11日大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区敷津西1丁目・鷗町公園)に父秀太郎、母こうの4男として生まれる。 1890年木津幼稚園に通う。1892年木津尋常小学校(現在の大阪市立敷津小学校)に入学する。1894年叔母えいから贈られた『東京名所図会』の見開きに初めて自作歌を記す。 (Wikipediaから自動的に取得しているため、本人と異なる情報が表示される場合があります。)

折口 信夫の著書・訳書

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死者の書(下)<死者の書> (ビームコミックス)


折口 信夫 その他 /
KADOKAWA / エンターブレイン 2016-04-25
時は八世紀半ば、奈良の都・平城京が栄えた頃。二上山の峰の間に、荘厳な俤びとの姿を見た藤原南家の娘――郎女は、館から姿を消し、女人禁制の万法蔵院に入り込む。「姫の咎は、姫が贖う」――長期の物忌みに入った

死者の書(下) (ビームコミックス)


(原作)折口 信夫 その他 /
KADOKAWA/エンターブレイン 2016-04-25

死者の書(上)<死者の書> (ビームコミックス)


折口 信夫 その他 /
KADOKAWA / エンターブレイン 2015-08-24
時は八世紀半ば、平城京の都が栄えた頃。いずれ氏神に仕える者として、館の奥深くで育てられた藤原南家の娘――郎女は、ある年の春分の日の夕暮れ、荘厳な俤びとを、二上山の峰の間に見て、千部写経を発願する。一年

死者の書(上) (ビームコミックス)


(原作)折口 信夫 その他 /
KADOKAWA/エンターブレイン 2015-08-24

万葉集



2014-09-14
万葉集は7世紀後半から8世紀後半ころにかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもの。折口

『折口信夫全集・158作品⇒1冊』 【さし絵つき】



折口信夫全集・出版委員会 2015-02-17
「水の女」「死者の書」「鬼の話」。柳田国男の愛弟子として民俗学の基礎を築き、歌人としては釈迢空(しゃくちょうくう)と号した折口信夫の「158作品」を、原作オリジナルの16枚のさし絵と、関連作品をそえて

南方熊楠/柳田國男/折口信夫/宮本常一 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集



河出書房新社 2017-05-05
民衆の紐帯であり自然の宝庫でもある社(やしろ)の破壊に反対する、南方熊楠の画期的論考「神社合祀に関する意見」。伊良湖岬の浜辺で目にした椰子の実から日本人の来し方を想起する、柳田國男「海上の

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